「私の歯科医までの生い立ち」

 〜 医局員、大学院編  その2〜

 

 

 

 

 準備をしているとチャンスは必ずある。

 それも突然やって来る!

 

 

私の場合は、

ラッキーにも、先ず、素晴らしい先輩との出会いがありました。

 

 

特にOBの先生からは大変に良くして戴きました。

 

 

やはり同じ体験をして
私と同じ困難、私の現状を乗り越えてきた方たちなので、
共感して戴けたのしょうか。

 

 

 

 失敗を未然に防ぐ方法
 臨床、研究に対する考え方
 時間的な無駄を省く方法、などなど。

 

 

ショートカットの方法はいっぱいあるもんなんですね。

まさに目からウロコの状態でした。

 

 

また、医局内外から良き指導者に恵まれました。

何に付け地道に頑張っていると、
見ている人は見ているもんなんですね。

 

 

 教育者として使命、
 医師としてのあり方、
 臨床のヒント、
 患者さんへの理解と心配りの方法など、

 

 

とても重要で役に立つことばかりでした。

 

 

もし教えて戴くことがなければ習得まで時間も、
労力も大変に必要としたことでしょう。

もしかすると一生気付かなかったこともあるかも知れません。

 

 

このような素晴らしい先輩に恵まれ、
次第に必要な知識も集まり、技術も向上し、自信も生まれて来ました。

 

 

そして、何より大きな出来事は、

他の講座の教授からの勧めでドイツに留学することに…

 

 

他講座の教授から推薦を戴けたことはとても名誉なことです。

本当にありがたい気持で一杯になりました。

 

 

人生って本当に何が起こるか分りませんね。

 

留学の話はいずれの機会にお話し致します。

 

 

医局員、大学院ではなかなかできない経験もさせて戴きましたが、
全て上手くいく訳ではありません。

 

 

そして私に転機が訪れました。

 

 

良いことだけが続く訳もなく、
思いもよらないことが発生しました。

 

 

私の場合、
やっかみや白い巨塔のように人事闘争に巻き込まれました。

 

 

考えたあげく教員の道を続けることを辞め、
大学を去ることなりました。

 

 

良い機会であったので、半年くらい世界の歯科事情を見て回る計画を立てていましたが、
お世話になった他講座の教授からのお話しが舞い込み、
縁合って、関連病院に転勤することになりました。

 

そこでは臨床と共に検診も行い、
人間ドックを含む検診センターと医療機関が融合した形で機能しており、
医療の現状をつぶさに見ることになりました。

 

 

そこでは午前中は検診業務を行い、午後は臨床をするといったスタイルです。

午前中は40〜50人を拝見し、午後は10〜20人の治療にあたるといった具合です。

 

 

ここでは約20年に渡り歯科部長をさせて戴きました。

来院数から換算して約40万人の検診、臨床を経験できました。

 

 

また、企業の中での勤務ですから企業の仕組み、経理、多方面企業とのお付き合い、
他のメディカル・ドクターとの連携、産業医の現状などを知る良い機会になりました。

 

 

しかし、時代と共に変化はあるもので、
ここでも昨今の景気の沈み、歯科医過剰のしわ寄せがやってきました。

 

 

企業の検診の外注の減少による、
人間ドック、検診者の低下、来院者数の低下により、経営状況は厳しくなり、
同様に、歯科部門も年々低下して来ました。

 

 

これに伴い、採算性の低い部門の縮小や閉鎖を実施することになり、
歯科部門も治療行為としての臨床部門を取りやめることになりました。

 

 

この件で、私も居場所がなくなりました。

 その結果は…

 


「私が歯科医を辞めた理由」  〜その1〜  に続く…)